タモリの記事一覧

タモリ さんが司会を務めるフジテレビ系の生番組「 笑っていいとも! 」ですが・・・

今日の放送で「 笑っていいとも! 」の人気コーナー「 テレフォンショッキング 」に、人気 アイドル グループ の AKB48 が メンバー 33人で初出演したそうですね。

「 テレフォンショッキング 」に33人もの大人数で出演するのは、「 笑っていいとも! 」の放送がスタートして以来はじめてとのことです。

リアルタイムで「 笑っていいとも! 」を見ることは出来なかったのですが、 AKB48 がどんな アイドル グループ なのか良く知りませんでしたし、「 テレフォンショッキング 」がどういう状況になっていたのか興味があったので、ユーチューブで今日の放送を探して見てみました。

 

確かにこれだけの大人数だと タモリ さんもどうしてよいのか分からない様子で、 AKB48 もヒット曲の「 会いたかった 」を1フレーズ歌い、 メンバー が1人ずつ自己紹介をしただけでCMに突入してしまいました。

 

AKB48 と言っているので、 メンバー はてっきり48人だと思っていたのですが、 AKB48 には100人以上もメンバーがいるらしいですね。

メンバー 全員の顔と名前を完璧に憶えている イケメン の AKB48 ファンっているのでしょうか?

AKB48 というのは、何か おニャン子クラブ の現代版って感じですけど・・・

 

やはり AKB48 は おニャン子クラブ をパクっているんでしょうかねぇ~

おニャン子クラブ も メンバー の人数がどんどん増えていきましたが、最初の頃は結構 メンバー の顔と名前を憶えていました。

AKB48 にいる メンバー の顔と名前を憶えろと言われても、この年になってはさすがに無理ですけどね。

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8月2日に漫画家の赤塚不二夫さんが肺炎のため亡くなられました。

このブログを始めたきっかけであり、一番最初の記事に使わせて頂いたほど、私は「天才バカボン」が大好きだったので、この出来事は大変ショックで悲しく思っております。

8月7日に東京都中野区の宝仙寺にて葬儀・告別式が営まれ、タモリさんが手にした紙を何度も見ながら弔辞を読まれましたが、なんとその紙には何も書かれておらず白紙だったそうですね。

 

以下、タモリさんの弔辞全文を書いてみました。

ここから~

弔辞。8月の2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。平成20年8月7日、森田一義

~ここまで

これだけ長い弔辞をアドリブで読み上げたことからも、タモリさんは本当に赤塚不二夫さんのことを肉親以上に慕っておられたんでしょうね。

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