日本経済新聞の記事一覧

チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山で、8月5日に発生した 落盤事故 ですが・・・

地下約700メートルに閉じ込められた作業員33人の 救出作業 が始まり、現場監督の フロレンシオ・アバロス さんが救出1人目に選ばれ、 落盤事故 の発生から69日ぶりに地上へ生還しましたね。

作業員の救出作業には、「 フェニックス ( 不死鳥 )」と名付けられた救出用カプセルが使われており、1人当たり約1時間かけて地上に引き上げるそうです。

救出用カプセル「 フェニックス ( 不死鳥 )」を地上に引き上げるだけの時間としては約15分とのことですが・・・

直径約50センチのカプセルに閉じ込められるのは、閉所恐怖症の私には耐えられないかもしれません。

それよりも前に地下で69日間も生活するのがムリですね。

落盤事故 で閉じ込められた33人の作業員は、暗くて高温多湿の地下避難所での極限生活によく耐えてこられたと思います。

作業員の救出作業は現在もまだ続いておりますが、明日中には全員が地上に引き上げられる見通しとのことで、33人が揃って無事に地上へ生還できることを信じたいですね。

落盤事故 が発生した当初は、作業員33人の消息が分からず生存も絶望視されていたのに素晴らしいことです。

今回のチリ鉱山 落盤事故 の奇跡的な救出劇は、そのうち映画になって上映されるかもしれませんね。

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大沢親分 の愛称で親しまれた野球評論家の 大沢啓二 さん(78歳)が今朝、胆のうがんのため東京都内の病院で亡くなられました。

日本経済新聞 では、朝刊からずっと ノーベル化学賞 を受賞した 根岸英一 氏と 鈴木章 氏の話題で持ち切りになっていたので~

仕方がないとは思いますが、 大沢親分 の訃報は小さくポツンと掲載されているだけでした。

大沢親分 は元 日本ハム ファイターズの監督で、1976年から8年間 日本ハム ファイターズの監督を務め、1981年には 日本ハム ファイターズを19年ぶりのパ・リーグ優勝に導いています。

1986年に球団常務としてフロント入りするものの、1993年には再度 日本ハム ファイターズの監督に就任し采配を振ったそうですね。

大沢親分 が監督として務めた通算成績は、1547試合で725勝723敗99分け、リーグ優勝1回とのことですが・・・

野球に詳しくない私にとってはピンと来ない数字です。

正直に言いますと、 大沢親分 が 日本ハム ファイターズの監督をしていたことも、あまり印象に残っていないんですよね。

選手として活躍していた頃の 大沢親分 も、まだ生まれていなかったので当然ですが全く知りません。

私が 大沢親分 のことを知っているのは、TBSの「 サンデーモーニング 」が好きで番組をよく見ていたことと、やはり 大沢親分 の孫がタレントの 大沢あかね さんだということです。

大沢あかね さんは先月、 劇団ひとり との間に第1子となる女児の 千花 ( せんか )ちゃんが生まれたばかりなんですよねぇ~

幸せの絶頂に大好きだったおじいちゃん( 大沢親分 )を亡くし、 大沢あかね さんはかなりショックを受けていると思います。

大沢あかね さんにとってせめてもの救いは、 大沢親分 に曾孫の 千花 ( せんか )ちゃんを見てもらえたことでしょうね。

もう「 サンデーモーニング 」のコーナー「 週刊御意見番 」で、 大沢親分 の「 喝ッ!」と「 あっぱれ!」が見れないのは悲しいことです。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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